特定分野
特定分野に集中的に自己投資と学習をしていると、あたかも自分がその分野で敵無しになったような気分になります。
ギターをたくさん集めて、アンプをたくさん集めて、好きな曲を聴きまくり、好きな教材に取り組み、毎日きまった時間を投じるような流れになってしまいます。
そして、世界全体と比較をして少し自分が特異な存在になれたように感じます。
これが罠なんです。
一般社会
一般社会に出る前の学生は勉強の分野で上記のような学習をさせられます。工学に優れてた学生は一生懸命先生の手伝いをさせられます。コンピューター・プログラミングに長けた生徒は明けても暮れてもプログラミングをしてスゴい技術を身に付けます。
そして社会に出て社会の歯車になって一生を終えるのです。
バカげています。(これはショーペンハウアーの言葉です)
演奏家
演奏家も同じです。学生の頃に特定の楽器を必死で学び、バンドやオーケストラの歯車、駒、替えの効く存在になろうとするのです。
セカンドライフで替えの効く駒になろうとする人までいます。
あなたが目指している先にある状態を想像してください。大成功するバンドのギタリストになったとしましょう。そんなあなたに質問です。
ミスチルのギター人の名前は?
サザンのギターの人の名前は?
この二人がいなくなったら、世の中終わります?
指揮者
オーケストラの指揮者の事をなんと呼ぶか分かりますか?
「演奏家」
と呼ぶのです。世界の指揮者を見てください。全員楽器も弾けますし、作曲もできますし、オーケストレーションもできます。しかし、一番優れているのは全員を束ねて完成品を洞察する能力であり、そこに最大の関心があることなのです。
私達
私達も自分が作る音楽全体を洞察する能力を身に付けなくてはいけません。ギターを弾くなら自分の低音を担当するベースはもちろん、アタックを担うドラムを含めてバンド全体の楽器の演奏、アレンジ、ミックス、マスタリングまで自分でこだわる必要があります。
趣味だからいい?
「ギターが趣味だから別に全体が分からなくてもいいです」
たまにこういう人がいらっしゃいます。別に悪いことではありません。
ただ、楽しさを考えてください。
ジオラマ製作が趣味の方がいるとしましょう。「自分はジオラマの建物の屋根の錆の部分を色鉛筆で色づけするのが趣味だから、全体は考えなくて大丈夫」というのはあまりにもったいないと思いませんか?
1日必要だが1日でいい
まる1日は音楽制作の勉強に時間を費やしてください。これから音楽人生は始まります。指揮者としての自分が始まります。
音楽制作レッスン
やりません。昔やってましたが、もう年齢的に丸一日は無理です。
ただ、来週公式LINEで募集するようです。興味がある方はお待ちください。