ソロー
はじめまして、津本幸司と申します。noteでは今週一週間かけてロシア文学を
毎日紹介しました。
ギタリストの方にはちょっと興味が湧かないないようかもしれません。
エレキギター発祥の地、アメリカの話だったら興味ありますか?
最近流行のミニマリストの元の話って知ってます?
これなら興味あります?
1854年
この年は私達芸術家にとって記念すべき年なんですよ。難しいことは今後noteに書きますが、その私が好きなドストエフスキーが刑期満了した年で、そろそろ交響曲じゃなくって単一楽章の交響詩でいいじゃん・・ってのが数年後に始まろうとしていて、全部ミニマルなっていくんです。
その代表が私の愛読書『ウォールデン 森の生活』です。1854年に完成しました。
あ、だから津本幸司ってミニマリストなんだってのが一発で分かります。だからコイツ本ばっかり読んでんだってのがバレます。だからコイツ暗い音楽好きなんだ。だからコイツ人と違うコトやってんだってのが、自分もやってみよっかなって思いますよ。
ソロー
ソローの考え方を知ってしまうと、一気にものを捨てたくなりますよ。「あれ?もうラッセルいらねーじゃん」って思うくらいですよ。
(この時点でラッセルの幸福論を読んだことない人はちょっとついて来られないと思うので、マレーシア生活でもご覧ください。)
単に紹介しても多分読む気も起こらないでしょうから、ギタリストに即取り入れられる部分だけ、噛み砕いて説明しますね。
早い話が、悲しいことがあったので森で自給自足でミニマル生活したら「こっちの方がえ〜やん!」と見付けたっていう話です。
誰もが理解できるのはおかしい
自然界の多様性を考えると、誰もが理解できるように演奏したり、話したりすることを「求める」こと自体間違いであり、誰もが理解しているからといって真実や良し悪しの判断にはならないんです。違ってて良いじゃんってことです。
モノと暴食
心不在焉,視. 而不見,聴. 而不 聞,食. 而不知其 味
あ〜はいはい、わかるわかる、なるほどなるほどって思いますか?w
ソロー自身が曾子を引用したんです。
心が自由で無ければ、見ても見えず、聞いても聞こえず、食べても味わえない
と言っています。
この直前に「私には高級なワインも要らない」とか言ってるのでグッサーッと刺さるのですが「そ、それは残しといて〜な・・・」と思ってます。
文明社会がもたらす快楽で幸福は感じないのです。つまりありあまるモノをもっていても管理が大変なだけで永久に幸福には近付かないということです。
オッチョラゴ
韓国人アイドルなら「オッチョラゴ(どうしろと?)」というでしょう。
結論は「古典を読む」ということなんです。
ここに行き着くんですよね。多分えら〜い人が最後の最後に言うことって全部「古典を読め」ってことなんです。
このロジックが繋がったらモノは減りますよ。
まとめ
私は1800年代後半に全ての答えが出てると思っています。なんだかんだで世紀末を乗り越えて、世界大恐慌の1930年の直前の1920年代が思想的な完成期だと思ってます。
俺たちにモノは要らないんです。
時間と健康が必要なんです・・・このなんか宗教的というか哲学的というか、意味不明かも知れませんが、千文字で説明できないことはこちらの5時間で説明します。ただ、人生に前向きな音楽家じゃないと意味ないんです。
諦めモードの労働者を私が貶す理由を「白痴(ドストエフスキー)」的に理解できないとただ攻撃しただけに感じちゃうでしょ? そのレベルのギタリストは5ちゃんとかに集まっておけばいいです。
おしまい♫
色々現在書いてます・・・以下でまず準備してください。