プロギタリストになるには?プロになるきっかけ
プロギタリストになった人ってどんなきっかけでプロになったんだろう?
不思議に思いますよね。
心配無用です。
この記事を読んだらどんなきっかけでプロギタリストになって行くか分かりますよ。
結論
プロになる方法が1つでないことは明らかです。もし1つであれば既にネットに出回っているはずです。多くの方法の中から定番の方法があったり、上手く行く方法あれば、これ見よがしにネットで「僕はこうやってプロになった!」と言う人が出てくるでしょう。(確かに数名いますが、「あなた誰?」的な感じですよね)あまりにも多くの方法があるので、実例を紹介するのが最も参考になると思いました。私はISMギタリスト養成所というプロギタリストの養成所を1997年から運営しています。巣立ったプロギタリストの例を紹介します。
A君
18歳からフリーターとしてバイトとバンドばかりやっていた。ISMギタリスト養成所でプロギタリストとして通用する技術と知識を身に付けた。22歳からライブハウスのイベントに出まくった。カラオケ業者主催のイベントに出まくった。24歳の時にイベントで上位入賞した。自主制作のCDを手売りで売りまくった。レーベルからデビューの声が掛かった。1枚発売したが、バンドは解散した。でも、そこでつくった人脈を頼りにサポートギタリストとして活動している。
B君
鹿児島出身。大卒後上京。23歳から30歳までISMギタリスト養成所に通った。プロギタリストとして通用する技術と知識を身に付けた。通所中に師匠(私)のローディーをしていた。師匠の演奏仕事は自分が弾かないのにもかかわらず全て完コピしていた。師匠が急用の時に代理として演奏。それ以降、その仕事が彼のものに。ちなみに、急用というのはウソです。師匠が彼を巣立たせるチャンスと思って仕事を譲ったわけです。(後述しますが、これ過去に私もやって貰いました)
C君
高卒で30歳165㎝85㎏のぽっちゃり君フリーター。20歳から10年ISMギタリスト養成所に通所。プロギタリストとしての技術と知識はスタンバイできていた。ISMギタリスト養成所にメールが来て
「女の子のユニットをデビューさせたいんだけど女の子が少しふっくらしてるから、その女の子が細く見えるように、横に立たせる巨漢のギタリストが欲しい」
とのこと。
その場で電話をして、そのまま事務所に行かせて、そのまま弾かせて、そのまま契約させた。今でも活躍しています。あまり詳しく言うと個人が特定されるのでここまで。
D君
ある邦楽ロックユニットが好きなD君。それ以外は弾きたくないくらい好き。しかし、技術は本人顔負けになるくらいISMギタリスト養成所で磨きました。一見どこにも向かってないようなD君。ある年、なんとその邦楽ユニットのコピーだけをやるバンド演奏のバーがオープン。そこの専属ギタリストのオーディションにトップで合格。今でも活動しています。
E君
E君はプロに通用する技術と知識を身に付けながらも腰が重く、バイトのみに明け暮れる日々。見かねた師匠(私)が大物プロデューサーと銀座で会合。その師匠は選りすぐり女性陣を連れていって大物プロデューサーを囲ませた。お酒が進んで気を良くしたところで、
「E君っていう良いギタリストがいるんですけど、面倒みてやってもらえませんか?」
と、お願い。サラッとオーケー。今でも給料貰って頑張ってます。マンガのようですが実話です。
津本君
20歳のバークリー音大生。師匠(ジョン・フィン)の演奏は全て完コピしていた。師匠の仕事には全部無償でローディーとして付いていった。1996年に師匠が数千人のオーディションを勝ち抜いてミュージカルの仕事をゲット。もちろんその曲も全部弾けるようにして、いつでも代理が務まるようにスタンバイしていた。ある日、師匠の娘さんが急病になり自主的に降板。ブロードウェイは津本君を指名。これは新聞にも載りました。
ちなみにその仕事はセカンド・ギターでした。ファースト・ギターを担当したのはバークリー音楽大学の教授であるジム・ケリー。そして、その代理としてスタンバイしてたのが、あのトモ藤田先輩です。
まとめ
これらの実例は「過去」の話です。時代の流れによっては全く通用しないかもしれませんし、もしかしたら時代は繰り返すので通用するかもしれません。これだけは神様でない限り分かりません。
ただ、1つだけ共通点があるのがわかりますか?全員プロレベルの技術と知識が「スタンバイ・オーケー!」だったわけです。どんなチャンスであれ、巡ってきた時に「スタンバイ・オーケー!」になっておく必要があります。
プロギタリストを目指す人を応援しています。
津本幸司
プロギタリストの必須の知識と技術