1994年8月

私がバークリー音楽大学に入学のために渡米した(というか西海岸から東海岸に移動した)1994年8月当時は日本のバブルが終わり果て、セナが亡くなった直後でした。しかし、バブルの名残があり、日本人はいかにブランドものをたくさん身に付けているかが価値の基準となっており、ギタリストもいかに高い機械をたくさん持っているかがそのギタリストの喜寿になっていました。
お知らせ
音楽家コーチング記事はnoteに引っ越ししました
能力も・・・
能力も「基から備わっていた地頭の良さ」や育った環境、学習してきた環境で他人を評価する・・・つまりは親ガチャに当たったギタリストほど評価される時代でした。
まだあった
人種差別なんて当たり前のようにありました。そして、「ユー・ファッキン・ファゲット」(くそオカマ野郎)なんてことを罵る代名詞として使えてた時代です。
今そんなこと言ったら大問題です。
2025年8月
学生達が音楽家の本質を見抜くように変化していました。
持ち物、人種、年齢、環境、言動、文化、ファッション・・・すべてを「差異」として受け入れるような風潮がバークリー音楽大学の中には広がっていました。
この流れが詳しくない方は以下をお読み下さい。
ただし少数は存在する
しかし、ごく少数のギタリストはいまだに持っているギターやアンプでギタリストを判断したり、同じ楽器を使っていたら仲間だと思ったり、文化の異なりが善し悪しの判断基準になっていたりします。
驚くことに・・・
バークリー音楽大学でそのごく少数派のギタリストはほとんどが日本人でした。当然私が数日間で出会ったギタリスト限定ですので、統計的に有意であることではありません。
日本のギタリストへ・・・
世界へついていこうではありませんか。
切な願いです。
津本幸司

