ギタリストの作品

結構たくさんの人の作品をこの秋に聞きました。アメリカ、イタリア、中国、日本の人々です。ギター作品は「音楽に対する考え方」が露呈します。
①自分の技術を披露
90年代までは技術を持つ人がもてはやされていました。たいてい楽器というのはできてから50年で超絶技巧というのが確立されます。ピアノ、ヴァイオリンなど全てその流れを追ってきました。今頃技術の誇示は誰も見向きもしません。その時代が今です。ただし、あと50年後にまた再ブームが来るかもしれません。今の時代に技術を披露しようと考えている人は人前で高速○ナニーをしようと試みているだけです。ちょっと近寄るのも避けたいですよね。
②継ぎ接ぎソング
このドラムを貼って、このベースを入れて、このリズムギターを入れて、このリードのフレーズを入れて完成!自分の曲です!と、言うギタリストが非常に多いんです。これはディアゴスティーニの作曲雑誌がやることです。専門家から見ると、この女優の顔と、このモデルのスタイルと、この歌手のファッションと、この女子アナのしゃべり方をくっ付けて「自分の彼女です! 僕が育て上げました!」といっているように聞こえるんです。
チュートリアルの「ちかよは居るよ!」という感じですね。
③悪癖アイデンティティ
アイデンティティを持つのは良いことでしょう。どちらかというと必要です。でも、変な癖、悪い癖を寄せ集めて「自分のアイデンティティだ!」と主張しているギタリストが非常に多いんです。こちらかみると「ど、どうしてそれを人前でやろうとした?」「ど、どうしてそんなものを録音して記録しようとした?」と思ってしまいます。
「ジャンケンのチョキの形で○ンポを挟んで高速に動かすのが僕のアイデンティティです!」
って言ってるように聞こえるんですよ。
④頑張った成果
これが最も恥ずかしいのですが、「一生懸命頑張って練習した成果」を録音物として残しているんです。そんなものを聞いて喜ぶのはお母さん方のおばあちゃんくらいです。人が頑張った成果をアナタは聞きたいですか?
⑤音の羅列
世界中のギタリストの音楽を聴くと99%の確率で作品が「単なる音の羅列」です。音楽的、学術的、芸術的、哲学的、文学的、文化的な意味を全く欠いています。
「な、なに?これ?」
と、聞くと、
「この部分はこういう音楽の雰囲気で、この部分は自分の得意な部分で、ここにこの音が欲しくなったので入れました」
という反応が返ってきます。
あのね・・・
私もやってます。ご飯は食べられないから、シラタキを暖めて、みりんと醤油で魚を煮付けて、カツオ節を入れたくなったので玉子でとじて乗せて・・・
おえぇーーー
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