愚鈍な読み方
日本人ギタリストの多くがこの記事のような無意味なネット記事を読んでいます。これは私個人の日記であり、商品でもなければ、思慮のシェアでもありません。私の記事もふくめて読み続けると、精神から弾力性を奪い取ります。私個人は悪気があって書いているわけではありませんし、他のライター達も毒を発している訳ではありません。しかし「まぜるな危険」なのです。これが思索を妨げる愚鈍な精神を作ります。
旅行案内人
ネットのインフルエンサーには素晴らしい旅行案内人が大勢いらっしゃいます。彼らは旅行案内書をたくさん読み、その土地に精通した人達なのです。その人達の言葉を聞いて旅行した気分になっているのです。
この時点で誰一人として旅行に行っていないのが分かるでしょうか? 知的旅行に行っていないのです。 思索できるはずがありません。
机上音楽家
実体験のない音楽家がネットで演奏を披露しています。嗚呼・・・それを観ている人もいます。世界での演奏経験がある者から見ると、古道具を型どおりに使い、陳腐な文句を並べているだけにしか見えません。この悪循環を誰が切れるのでしょうか。
区別できない
音楽を嗜む者が凡庸であっては、作文、作曲において他と区別されることはありません。明晰判明な表現法が確立されていないのです。聴くに値しません。
従う
法や命令に従う民衆として音楽を嗜むと行き着く先は、法令に従った優秀賞の「賞状」です。誇らしげにリビングに飾っていた昭和の庶民として死ぬ運命です。思索し、他人の意見や、偏見、そして権威に断固たる拒絶意思を表すべきです。
文字
文字を書けばその流れで全てが露呈します。コメント、質問、悪口に至るまでお里が知れるのです。愚問に対して、権威ある言葉を引用したがるのです。これが服従者である証拠です。相手から、世間から、「どのように思われるか」だけに焦点が当たっているからです。これでは音楽の道は開けません。
まとめ
これらの思索不足は差し迫った問題であり、上記を問題視せずに死んだ方がさぞ幸福でしょう。しかし、ギタリストとして、音楽家として、芸術を嗜む者として、日の目を見ることはないのです。
なお、上記はショーペンハウアーの『思索』のアフォリズムをさらにギタリスト用に私がアフォライズしたものです。
ギタリスト達よ・・・己に欠けている思索を緊急事態として扱ってもらえないものか
そう、思う夏の始まりです。
津本幸司